NAGASAWA TOMOYUKI BLOG
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無題
11月は今日で終わりか

12月か?

12月とか、ちょっと信じられないんですが…12月が来ないと作品を皆に届けられないわけで
よく来たね!でもまさか来るなんて!みたいな感じです

来年2017年なんてすごい
あ、すごい、来年って打ったら2017年って変換が出るんだね
2017年ってもっと未来感溢れるものかと…こういうこと2010年あたりからずっと言ってるや



今年は最後にソロのミニアルバムでGIFTというものを作りました

その中から無題という曲をMVに選びました

イメージがあったので監督と話して、監督が素晴らしいアレンジとストーリーをくださって

どうしようもない落書きをどうしようもあることにしてくださって

単純に嬉しく、また素晴らしい仕事をしていただいた小林洋介監督に感謝

みんな見てくれたら、関わった僕たちみんな嬉しいです

無題は率直に日頃考えている僕の僕なりの願いであり祈りです
作品は競争ではないし、ただただ自己満足なわけでもないです
同じ気持ちになれる人を探していたり、僕自身の分身でもあります

時を経てだんだんそれが変わっていっても、今その感覚で、それが僕には大事です
でも僕なりに変わらない祈りを歌ったつもりで…

気に入ってくれたらそれで嬉しいし、気に入らなければ、わざわざ気に入らなかったとヘイトをもらいたいわけじゃないけれど 笑
それもその人の感想で
それで大丈夫です

ただ傲るわけでも卑下するわけでもなく、生きることや、終わりがあることについて、願い、歌うまでですから

今夜もみんな良い夜を
おやすみなさい








2016年11月30日

ニュース
個人的な感情だし、書いたけど消してしまって伏せていようと思っていたけど
ダリを観た後、下北のバーに行ったら酷く残念なニュースを聞いた

今日になってそれを思い返していたら、恐ろしくなって
決してその人にがっかりなんかしていない、ただ純粋に、また歌が聴きたかった

なにより恐ろしいのは、表現に喜びを感じ、言葉やメロディや歌うことに生き甲斐を持つ人から、それを奪ってしまって何年間も閉じ込めるということ
想像すると言葉が出ないし胸が痛い

昔から聴いていた音楽をやる人が、今も表現をまっすぐしてくれている嬉しさから、どうしても庇いたくなる気持ちが働く
表現に命をかけているんだから、見逃せないのかとかどうしても考えてしまう
身勝手なことを考えてしまう
悪い終わりかたを迎えてほしくないと願ってしまう



2016年11月29日

ダリ展に行った
国立新美術館のダリ展に行ってきた
新国立美術館って言ってしまう

ダリって自己愛みなぎる人だ
それもそのはずと言えるような作品をたくさん残しているけど、それはダリ自身が自分をとっても高い位置に設定して生きたからだ
高い自分にふさわしい生き方をしようとするので、取り組み意識が全くポワンとしちゃいない
素晴らしい自分に見あう作品を作らなきゃなんないんだ
正直それがなんとも可愛らしかった

個人的にいうと少し下品な作品も多い気がした
ある種のマッチョイズムを感じて
でも決して嫌な下品さじゃなくって
子供が「見て見てこれ見て」って言ってるような感じ
それのダリver.というのがダリな感じ

自己プロデュース能力が凄まじく高いから、その成し遂げかたにニヤつくし高揚感がある
ダリ自身も高揚感の中に浸っていたい人なのだろうと半分決めつけつつ、そのおこぼれをもらうように僕も少し高揚した

だからダリの作品って一見可愛いげがないものが多い
可愛さってのは相手を必要としている状態がもろだしな感じで、弱さを示すことだ
人は人に必要とされたいし、必要とされていることに自分の価値や安心を感じたりする
弱さを相手に伝えることは可愛いことなんだ
ただその中で共依存になり過ぎちゃうと、自分で判断できなくなるし、孤独に耐えられない人間になってしまう
だから僕はそういう意味で可愛くない人のほうが可愛いって思う
必死だから

ダリもそうかなと思った
1に自分、2に自分、34がなくて5に他人ぐらいな感じ

口が開いちゃうほどに内容も全長もバカでかい作品があったんだけど、その突っぱねかたに他人への愛を感じてしまうものがあったり


ダリのような自己プロデュース能力って、自分の一番良い審査員に自分を選べる自信からくると思う
自尊心無しには有り得ない話
そして僕は今の世の中に、もう少し自尊からくるナルシシズムがはびこってくれていいのになって勝手に思う

こないだ久しぶりに鹿野さんと話をした時、彼が今の世の中には自尊感情が欠如しているというようなことをおっしゃっていて、僕はすごくそれに心の中で頷いた

ダリはその真逆を行っているように見せているけど、物凄く認められたい力が強い
どこかに属し、みんなが味わう喜びの中にいることで終わるとか絶対嫌!っていう力が強い
本人は謎めいていたいのかもしれないけど、その謎めかせようとしている魂胆が可愛いというか…まあそんなことダリ本人に言ったら否定されるだろうけども

むしろそういったひねくれつつもまっすぐな作品に僕は愛情を感じてしまうんだと思う
自尊心越しに愛を求めているように見えた

ただ弱いだけなら誰でもできるし、今すぐにでも弱くなれる
でもそうしない表現者が僕は好きだ
信頼に値する
完全にゲストにさせてくれるから

個人的にとても愛溢れる展示会だった


ただ、ちょっと列を逆行してきたり、無理矢理後ろから押しまくってきたりする人が今回多くって、愛溢れるとか言いつつ終始ムカついていた
一緒に観に行ったたかっちゃんもベタベタやってたカップルに疲れてたようだし…

結局バーに行ってテキーラでぶちあがった



2016年11月29日

LGBTの内である方で、葛藤のある方に自分の曲で申し訳ないけど、あんまり素敵じゃない世界って曲を捧げたいと思った
そういう話を耳にしたから

良い夜を


2016年11月22日

19時
唐突に言い知れぬ悲しみがわいてきて困っている
さっきまで笑っていたんだが帰り道突然と

なんとか誤魔化そうとして独り言が出る
安心なのはブログだ
たぶん思っているより口にしたいのだ


いいことを思いだそう


2016年11月16日

夕方
川端康成「伊藤さんに訊きたいんだけど、今度の受賞でですね、審査…翻訳でやってますね?それは翻訳者のおかげが非常に多いわけですけどね。おそらく良い翻訳だったんだろうと思うんです。それでまあ…翻訳者が賞を半分もらったのか三分もらったのか分かりませんけどもね。日本語で審査されてない。これ非常に、良心的に厳密にいうと辞退するのがほんとかもしらん。」

三島由紀夫「いやそれはちょっととんでもないお考え」

伊藤整「それは私ちょっと…賛成するわけにはいきませんですね。」

川端「ええ、うぇい」

伊藤「私どもやっぱり、外国の文学を日本語で読んどります。私なんか英語を商売にした人間でも日本語で読んどりますから。それでまあやっぱり分かったつもりでおりますから。いい翻訳だということもですね、なんていいますか、あー、なんていいますか、やっぱり…『原作の再現を出来るだけ忠実にやる』ということですから。まあ日本語で読んでもらうチャンスはしばらくの間は無いでしょうから」

川端「おそらくね」

伊藤「ええ、ですからこれはもう…そういう辞退とかいうことを考えてもらうのは困ると思うんです」

川端「いや、そんな深刻に考えてないですけどね笑」

伊藤「あーぃ笑、そうですね。そうですそうです」

三島「ただそれは日本の作家の永遠の宿命ですね。そしてこれから先日本は…」

川端「ほとんど永遠に近いでしょうね」

三島「永遠に近い宿命でしょうね。日本語を自由に向こうの人が読みこなせて、普通の教養の中で読みこなせるってことは…」

川端「前に東洋でタゴールがもらったけど、あれはベンガル語で英語は書いてるけど、おそらく英語で読まれたでしょう?」

伊藤「ええあれは英語で書かれたんじゃないですか?」

川端「大変易しい英語で」

伊藤「ええ分かりやすい英語でございました」

川端「だからそういうやっぱり翻訳で賞を出すってものは…あったんですかねえ?」

伊藤「…いや。まあだいたいそういうことじゃないんでしょうか
ユーゴスラビアなんていう人の(イヴォ・アンドリッチ)、去年ですか一昨年ですか、ああいう人はやっぱりまあ翻訳で読んだに違いないですねえ…ロシア語でもそうじゃないでしょうか」

一同沈黙(道路を走る車のクラクション)

三島「…ただあれですねノーベル賞てのは非常に華やかなものですけども、川端さんを拝見するとね。芸術の仕事というのは非常に孤独な苦しい深夜のね、机の上の仕事。それとこの国家的なこういう栄光との間を繋ぐものですね。これは実に不思議な働きだと思うんですよ。川端さんお書きになったのは誰のためでもなく、ほんとにその…芸術がそこで自然にできて、苦しまれて書かれた。深夜の川端さんの机から直接にノーベル賞に繋がってる、それが感銘が深い。」

川端「…いや、しかし苦しむってのは怠けた結果でね。怠けてるから今まで生きたんでしょうね」

三島「えっへへ、そうおっしゃられちゃったらおしまいですが、えっへへ」


書かなければいけないものを書いていた
筆休めに動画を見てた
なんとなくさまよってたら三島由紀夫と伊藤整がノーベル文学賞を授章した川端を囲むっていう対談があって見てた
昔の日本が少し見れて面白そうだと思いながら
伊藤と三島が和気あいあいと彼の家で喜んでいる映像から始まるのだけど、ちょっと疲れてるのか寝起きなのか、川端は飄々としてて、コントみたいなインタビューで少し笑った

三島が「西洋の人もこれで分かったんじゃないでしょうか」とドヤ顔で話しているのに白けるような感じでいる川端

翻訳の話の時に、そうだよなーと思った
完全に理解するためには言語を学ばないとなあとか
あと日本人だから日本人に向けて日本語を歌うけど、英語はメロディがのせやすいし雰囲気作りやすいIKEAの家具みたいなもんだから、いいよなとか
だから話を少し抜粋した

ちなみにこの人たちの本はなんにも読んだことない
ただおもしろい話だったんだ

他にリオ会議でのムヒカ大統領のスピーチや、猫の動画、渋谷スクランブル交差点の生中継(これなぜか落ち着くものがある)、あとはJonny cashのhurt をまた見たり、見たいものを色々見てた

さて夕方になる
すぐにあたりが暗くなる
済ませてしまおう

いい夜を


2016年11月11日

自分と他人と想像と
イギリスEU脱退もトランプ大統領誕生も、言ってしまえば民意だった
民主制についてどうこうとかじゃなく、この時代に、世界中で、同時多発的になぜ人々がその方向に流れてるか、そういう事も知らせてかなきゃだねってメディアに思う

大統領選でアメリカのメディア、ずいぶん派手に転んだみたいだ
見ないようにしても見ない間に自分の思い通りに仕上がってなんかなかったね

今回のことで色んな人がアメリカってバカだバカだというけれど、とっくに日本もポワンとしてるから遠慮なく心配したほうがいいと改めて思った

これから安保やメディアのあり方について考えざるをえない人、また増えるだろう
ずっと言われてきたことではあるけれど「もしも~だったら」っていう悪い予想は安全を守る話には特に必要だし、日本でいうならこれはそんな悪い予想の一つが現実になったって話だ
何か起きてからパニックになるってのは地震でも原発事故でもそうだけど、ありえないように努めなきゃだ
だから情報がねじれたりとか勘弁だし、驚きであるみたいなリアクションのアメリカメディアに驚いた


安保や安全に想像力が必要なように、人と人との間にもそれは変わらず大事だ
相手の違いを尊重してこその平和だと思う
「違うなら理解させよう」って考えも行きすぎると侵略だし軽視でもある
他人を他人と認めること、そこから夢を描けばいいのであって、自分の思う正義を押し付けると当然反発を生むし、そういう関係って長く続かない
織田、豊臣、徳川のホトトギスの句とその結果みたいなもんだ

自分が信じるものと他人が信じるものが違っても、僕は「君間違ってる」なんて言えない
言えちゃうって宗教戦争、原理主義もそんなだから

理解する努力をしたいし、敬意を示せるようになりたい
無理なら距離をとるし、クソヤロウだったら「くたばれ」と思う
まあそこは思想良心の自由で(未熟なだけか)


他人は自分ではない自分であること
その事実を冷淡と捉えず、尊重と解釈すればいいと思うんだ
仲良くやろうが愛し合おうが自我の共有なんかできない
でもお互い窓の外の景色は違えど同じ月や空を見ることはできるし、自分と誰かのいる街は違っても思いを寄せあうことはできる
そこで一つになれるだけでじゅうぶんに夢や可能性があるって僕は思う

人と人の話でなく、国とか民族とか規模が大きくなると段々全体がでかすぎて見づらくなる
色んなこという人いるし、綺麗事、煽動、情報もそれぞれの都合から出てくる

だからこそ想像力が大事だ
俯瞰と疑いでない純粋な疑問が大事だ

世界や国にリクエストはあるけど、なんでもまずは自分から
ああ、反省が山積みだし、その直しが今は優先事項

まずは、「眠る」だな
みんないい夢を


2016年11月10日

休日の駅は色んなドラマを見かける
券売機にキレてパンチしてる酔っ払い、盛り上がっている学生
自分が一番よく見かけるのは改札の前でカップルが泣きながら別れてる光景

大きい駅で多い光景だから、遠距離恋愛なんだろうね

一番情熱的だったカップルはSEVENのツアーの新大阪の時だったか、違ったらごめん
なんかの動物の像があったのだけど(調べるとアドベンチャーワールドのパンダ像があったそうで今はもう撤去されているそうだ)、
そのパンダの上に乗っかった状態で女子学生同士が泣きながらディープキスを交わしててすごかったな
他人の視線などいとわない情熱と覚悟は凄いけどパンダの上よりもっといいとこあるだろうに

広島はムサシを食べながら駅の一番隅で街を眺めてる思い出、仙台だと牛タンを探していて、新潟は担当になった直後の潤さんと息がきれるほど走った思い出がある

九州の駅はよくサテライトの公開ラジオを思い出す

博多駅が新しくなったのをまだしっかり見れてない(陥没びっくりした)
昔は天神や博多駅にはとにかくストリートミュージシャンが多かった

ほんと個性があって面白いし、駅だけで街や人の雰囲気が違うのが分かるね



こないだ、頂いた手紙で知った東京都美術館のゴッホとゴーギャン展にいった

閉館直前に行けたので人はわりと少なかったけど、それでも休日の上野はほんとに人がたくさんいた

ポストカードやクリアファイルを買うも、ミニチュアの額縁に入った絵のガチャガチャが欲しくて(今回の展示にはなかった星月夜と夜のカフェテラスがあった、好きな絵)2度回してみるが出てこない
かわりに自画像とひまわりがとれた
一つは福岡に帰る唄歌いの後輩に

楽しかった
これから軽く飲みにでかけるよ
みんなお疲れ様



2016年11月08日

ありがとう
今日は楽しかった
いつもみたいな感じじゃなかったことは謝るよ
ただ楽しむことしか考えてなかったし、リラックスさせてくれる空間をありがとう

ツアーを歓迎してくれてありがとう

今日はそういうライブだった

次は違う状態かもだけど楽しく遊ぼう!
おやすみなさい


この人と一緒の空間にいるの楽しいなっていう時があっても、やっぱり人間だから相手も自分と一緒にいることが楽しくないと近づきがたいね
腹に一物抱えられてると、こっちが腹を割るだけ疲れるもんだ
心を近づけても、うまくいかない時はそっと距離を見つけなきゃ自分に失礼というか不親切だ
一緒にいれることがお互いに嬉しい相手って宝物だし素晴らしいことだ
失敗もしてるしバカもやるけど、結局はそういう人といたい
そういう人といるとどこか甘えてしまうから
いけないな
もっと自分を律することができたらな
もっと努力しないとだめだな



2016年11月04日

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