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学校で反戦映画を見させられた経験ってあるかな
自分は小学何年生だったか忘れたけど、学校近くにある福岡中央市民センターで、沖縄のあの地上戦の映画をスクリーンで観た
上映が始まりだした時は、落書きも身動きも会話もできない事態に、どんだけクソつまらない教育の一環映画を見なきゃいけないのかとシラケてたけど、それが徐々に変わってった
女子学生たちが暗く狭い洞穴のようなとこで、怪我をした人たちを必死に看護してる
外は爆撃の嵐で、その子たちが洞穴から出ると爆死したり、撃たれて死んだりする
そんな内容の映画だから多分高学年というか4年か5年だと思う
終盤に近づくにつれ、沖縄のあの澄みきった青空や、時の経過、今の平和とのギャップが、残酷な切なさを訴えかけているのが分かって、密かに泣いてしまった
でも当時の僕らは男子同士とにかくふざけあうし、お互いの反応をからかったりする風潮があったんで、顔や頭を掻く仕草の隙に涙を拭き、上映後の灯りが点く頃には「給食なんやったっけ?」みたいな事を言ってごまかしてたと思う
そういう男子同士にある無駄なマッチョイズムが今思えば損だった
役者さんみたいにとか高望みはできなくても、もっと表現できる自分でいたほうが楽だった
そして結局ますます忘れられないから、沖縄に行けた時にひっそり思いを馳せたり、ひめゆり学徒隊を想って後で曲を書いたりした
僕ではないどこか遠くの誰かが『自分』として存在していた事実を、作品でクリアに描写されると凄く心に残る
戦争という今の日本とかけ離れた世界の話だったこと、そして僕自身が今より残念なガキだったから、一層そう感じたのかもしれない
忘れられて未来の誰かに知る機会すら無くなってしまうようなことは、きっと駄目なことだ
だから当時を知り、想像するってことを大事に考えれる
年末にたしかブログに書いた『火垂るの墓』もそうかもしれない
きっとああいう子、いただろう
今現在もそうか、『誰も知らない』という映画も
ああいうの観たくないという方もたまにいるよね、別になにも否定しない
ただ僕はあの頃、あのひめゆりの映画を観れて良かったなと思う
ああいう映画って、子供が観ていいもんなんだろうな
というかむしろ子供が観なきゃいけないんじゃないかなあ、とか勝手に考える
長くなった よい一日を!

自分は小学何年生だったか忘れたけど、学校近くにある福岡中央市民センターで、沖縄のあの地上戦の映画をスクリーンで観た
上映が始まりだした時は、落書きも身動きも会話もできない事態に、どんだけクソつまらない教育の一環映画を見なきゃいけないのかとシラケてたけど、それが徐々に変わってった
女子学生たちが暗く狭い洞穴のようなとこで、怪我をした人たちを必死に看護してる
外は爆撃の嵐で、その子たちが洞穴から出ると爆死したり、撃たれて死んだりする
そんな内容の映画だから多分高学年というか4年か5年だと思う
終盤に近づくにつれ、沖縄のあの澄みきった青空や、時の経過、今の平和とのギャップが、残酷な切なさを訴えかけているのが分かって、密かに泣いてしまった
でも当時の僕らは男子同士とにかくふざけあうし、お互いの反応をからかったりする風潮があったんで、顔や頭を掻く仕草の隙に涙を拭き、上映後の灯りが点く頃には「給食なんやったっけ?」みたいな事を言ってごまかしてたと思う
そういう男子同士にある無駄なマッチョイズムが今思えば損だった
役者さんみたいにとか高望みはできなくても、もっと表現できる自分でいたほうが楽だった
そして結局ますます忘れられないから、沖縄に行けた時にひっそり思いを馳せたり、ひめゆり学徒隊を想って後で曲を書いたりした
僕ではないどこか遠くの誰かが『自分』として存在していた事実を、作品でクリアに描写されると凄く心に残る
戦争という今の日本とかけ離れた世界の話だったこと、そして僕自身が今より残念なガキだったから、一層そう感じたのかもしれない
忘れられて未来の誰かに知る機会すら無くなってしまうようなことは、きっと駄目なことだ
だから当時を知り、想像するってことを大事に考えれる
年末にたしかブログに書いた『火垂るの墓』もそうかもしれない
きっとああいう子、いただろう
今現在もそうか、『誰も知らない』という映画も
ああいうの観たくないという方もたまにいるよね、別になにも否定しない
ただ僕はあの頃、あのひめゆりの映画を観れて良かったなと思う
ああいう映画って、子供が観ていいもんなんだろうな
というかむしろ子供が観なきゃいけないんじゃないかなあ、とか勝手に考える
長くなった よい一日を!

2015年04月21日